2001.12.10号 08:00配信


大草原からのぷちメッセージ

愛情弁当って?

(by いくちん)


私がこの牧場に嫁いだ9年前から、我が家の食卓には常にばあちゃん手作りの“漬物”がありました。食材や調味方法は違うものの確かにばあちゃんの味でした。しかし、この家の食卓には、白飯と味噌汁の他に副菜というものが、ほとんど上がる事がなかったのです。当時の食事のメニューを思い起こすと、朝・昼は白飯と味噌汁、そしてお決まりの漬物。夕食は、野菜の煮物か生野菜が一品見られる程度でした。(これは、あくまでも農繁期の話)農作業に全ての時間をとられ、目が回るほどの忙しさ。これが精一杯の食生活だったのでしょう。

農家の食文化や食生活を経験した記憶のない私は、先に述べたような食事メニューは不本意なものでした。栄養の面からみても納得できない。娘が生まれたのを機に、図々しい嫁は、勝手に食生活改善に取り組みました。朝、誰よりも早く起きて、牛舎の前に朝食の支度。まずは一菜一汁からのスタートです。甲斐あって、今では朝食の他に3人姉妹の弁当を作る事も苦痛には感じなくなりました。そうとは言っても、朝、牛舎の前の貴重な30分。コーヒーでも飲んで余裕を持って仕事に望みたいと思う時があります。こんな時こそ、「給食があれば」っと・・・でも、これは母の怠慢なのでしょうか?お弁当を作れない事は、我が子に対する愛情がないという事になるのでしょうか?お弁当だけが、愛情を注ぐ手段ではないような気がします。

私が住んでいるこの町では、いまだ学校給食が実現しておりません。昭和40年代に初めて給食法が制定された当初の目的は、経済不況の影響で、物資が少なく満足に栄養が撮れなかった事の対策の一つであると聞きました。近隣市町村では、続々と給食制度を導入しているにもかかわらず、この町は何故、流れにのって給食制度を導入しなかったのだろうと疑問に感じていました。(感じてない人も沢山いるでしょうが)やはり最大なのは、かかる経費や町民の負担が大きいという事なのでしょうね。

小・中学校を給食で育った私は、それが当然と思っていました。毎日の献立にワクワクし、面倒な給食当番も配膳の権利を得たようで案外楽しく果たしていました。冷めたカレーライスでも、固まった麺類の日でも、みんなと同じものを食べる事でファミレスのお子様ランチよりも美味しく感じました。母になり、学校給食に一目置かれている状況で顧みると、あれも一つの教育だったのかな?と思います。我が子の放課後を、姑であるばあちゃんに預け、フルタイムで働いていた母の事を、「給食だからラクして良いね」とか、「給食だから愛情がないんだ」なんて思った事は一度もありません。まして、親の怠慢のために学校給食があると感じる子どもは居ないと思います。給食により多くを学び、給食に対して楽しい思い出もある私が、“我が子に給食を!”と願う声は届くでしょうか?

今回は自分自身、気持ちの確認のために書いてみました。給食反対の意見も沢山聞きましたし、給食廃止を訴える町もあるという事も耳にしています。『賛成』か『反対』かと率直に問われても答える事が出来ない。模索状態の私です。色んな立場の方の色んな捉え方を伺えればと思います。


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